きっとまた会える
「う、ん……?」
発信源は一人の少女だった。
掠れた声。覚醒していない頭でありながらも自分が意識を失っていたことを悟る。それも、喉の渇き具合から長い間、気を失っていたようだ。
睫毛を震わせ、目が開かれる。しかし世界は掠れ、霞んでいた。
微かに痛むこめかみを押さえながら彼女はゆっくりとその身を起こした。
「ここは……?」
唸るように小さく声を絞り出し、ようやく安定した世界を見回す。
その目が一周見回す頃には、彼女の思考回路も元の活発さを取り戻していた。
取り戻した指先の感覚が、何やらざらついている。彼女は床の目に沿って、指の腹で優しくなぞりあげた。
随分と古い。損傷の激しいタイルは剥がれかけていた。床にはその欠片と思われる物が所々に転がっている。
積りに積もった埃の量から見て、かなり年季の入った建物、それも長い間使われていないことが考えられる。
彼女が目覚めた空間は、無駄に広いフロアだった。
元はビルのワンフロアと推測し、違和感の正体を探る内に窓が見当たらないことに気付く。それだけではなく、大まかに設置された電球の大半は既に事切れていた。
生きながらえた中でも明滅を繰り返す物がちらほらと窺える。おかげで何も見えないということはないが、辺りは薄暗い。
現在確認できる情報をまとめた結果、ここは恐らく廃墟である。そこへたどり着いたものの、何故自分がこのような場所にいるのかが分からない。
彼女は顎に指をかけ、首を捻った。
変わったことなど何もなかった。更に首を捻らせた彼女の眉が密やかに寄せられる。
いつものように起きて、いつものように学校に向かったはずだ。そしていつものように――。……はて。
詰まった記憶に彼女は瞬いた。途中までは鮮明に思い出せるというのに、どこからかぼんやりと霞みかかっていき、どうしても最後が思い出せない。
持ち主の許可なく行方を眩ませた記憶に今度は逆の方向へ首が捻られた。
ここにどうやって辿りついたのかも、ここに来る前は何をしていたのかも思い出せない。
果たして自分は本当に“いつも通り”だったのだろうか。制服を着ているということは学校に向かっていたのか。はたまた下校している途中だったのだろうか。そもそも、ここはどこだ。
全く見覚えがない場所に彼女はほとほと困った。家へ帰ろうにも、どこから出て、どのように行けばいいのか分からず途方に暮れる。
いくら首を傾げても謎は深まるだけだった。
――何か。
何か、手がかりはないだろうか。
些細なことも見逃さないように何度も周囲に目を配る。手始めに指先から足のつま先まで目を移すも、彼女の期待とは裏腹に望むようなものは何もなかった。
次に彼女は、自身が着ている制服に目を付けた。
チェックの模様が入ったスカートは試しに一回転してみたが翻るだけで丈を含めた何もかもが記憶の中の物と変わりなかった。ポケットは何も入っていない。
今度は黄土色のブレザーに手を滑らせる。が、これにも異常は見当たらなかった。
ブレザーのポケットも中身がなければ、ボタンも全てついている。糸の解れ一つ見当たらない。赤いリボンは胸元で咲いたままで、胸ポケットについた高校のエンブレムを睨んでみても鈍く光るだけだった。
お手上げ状態。いきなり手詰まりだ。
どうしたものかと小さく唸り声を上げた彼女の背後から人影がさした。
「おっ、新入り発見!」
突然、背中越しにかけられた声に彼女の肩が勢い良く跳ねた。
聞き覚えのない声に恐る恐る振り返る。そこにいたのは彼女とあまり年の変わりなさそうな青年だった。
燃えるような真っ赤な髪。双眸もそれに相似し、情熱を秘めた赤色を浮かべていた。
白いブラウスの上に黒いカーディガン。その両方はズボンから出してある。赤を基調としたネクタイは小ぶりの星が散りばめられ、社交的で明るい印象を与える青年によく合っている、と彼女は視線を動かす。
ネクタイはずいぶんと緩んでいるが、その格好から青年も学生だという事。そしてラフなスタイルから堅苦しいのは苦手そうな印象が見て取れた。
青年は人懐っこい笑みを浮かべ、呆然と立ち尽くす彼女へ声をかける。
「ぼーっとしてるけど大丈夫?」
「え、あ……はいっ」
呼びかけによって我に返った彼女は、穴が開くほど青年を見つめていたことにようやく気付いた。
反射的に出した声は裏返り、その両頬は一気に赤く染まる。異性の顔が間近にあるのも手伝ってか、赤は耳まで染め上げた。染まりきった顔を隠すように彼女は視線を落とす。
彼女の慌ただしい行動を前に、青年は数度目の開け閉めを繰り返した。そして何を思ったのか彼女の手をとって歩き始めたではないか。
自分とは違う熱が触れ、驚く間もなく包み込まれる。これには込み上げる熱を押し殺していた彼女も目を白黒させる他ない。
困惑の声を上げ、彼女は見るからに狼狽える。しかし青年はお構いなしにそのまま歩みを進めた。
自分とは違う大きさ、硬さ。触れて気付くそれらに、気やら腰やらと抜けそうになる様々な物に叱咤して彼女は懸命に足を動かすのだった。