きっとまた会える
「あ……ふ、あ……ざ、え…………ど?」
口元を引きつらせて画面を見つめるカケル。たどたどしく発せられるものはお世辞にも言語とは言えなかった。どうやら英語は苦手のようである。
首を傾げるカケル。習うようにしてナオキや双子も疑問符を飛ばす。
「A Fathead Indelibly Do」
滑り込んだのは流暢な音。静かに空気を震わせた美しい発音は、何の抵抗もなく耳に入ってくる。
鼓膜を震わせるマモルの声に心地よささえ感じ、ミユは二度目を期待して耳を傾けた。そうして気付く。いつの間に移動したのか、画面を眺める四人の後ろにマモルが立っていた。
その距離に驚いた一人が物音を立てるも、マモルの視線は画面から動かない。
「ふ、ふぁせ?」
めげずに挑戦したカケルへ苦笑いを向け、ミユは思案する。
得意とはいえない分野に、彼女も脳を必死に働かせる。単語単語の意味は、確か。
「直訳すると“馬鹿者、消えないように行う”って意味になる……のかな」
Indeliblyには永久という意味もあったはずだと心中で文を入れ替えてみる。
――“馬鹿者、永久に行う”。
否、どちらにせよ意味が分からない。
造語か。それとも何か別の意味があるのか。
救いを求めるようにして、ミユの目は首を傾げるカケル。……ではなく、その後ろにいるマモルへ。
いつものマモルなら何の反応も返さないだろう。向けられたのが視線でも声でも、そんなものは関係ない。腕を組んで視界を閉ざす、それが彼の立ち方だとミユは認識していた。何かを投げつけた本人にも関わらず、もしかしたら何か返ってくるのではと期待してしまうことさえ間違っている。そんな印象を、抱いていた。しかし、予想に反して彼の双眸はちゃんと開いている。
二つのアイスブルーに映っているのが自身の姿だと気付くと、ミユの目は更に驚きで見開かれた。
マモルの首が動く。――縦の動きだ。
僅かな動きに見間違いかと一瞬勘繰ってしまうが、確かに彼の頭は動いた。
訳は間違ってはいないということだろうか。
特に指摘がないので、ミユは自身の良いように捕えることにした。
「……で、けっきょくどういういみ?」
これ、と画面を指し示すナオキの人差し指。彼が最も知りたがっている答えは誰にも応えられない。
点滅を繰り返していたカーソルはいつの間にか姿を消していた。これ以上文字が打ち出されるような雰囲気ではないが、それが事実ならあまりにも手がかりが少なすぎる。
「“ようこそ”ってかいてあるヨー?」
双子が声を上げた。
確かに彼女たちが指摘する通り、画面には歓迎の言葉が並んでいる。一同が揃って思考を走らせた。
「……普通に考えても歓迎の言葉の後に続く“A Fathead Indelibly Do”はこの場所(ここ)の名前と捉えていいはずだ」
誰よりも先に声を発したのは腕を組んだマモルだった。動じた様子は見せず、冷静さを持った推測。
忙しなく指の折り曲げを繰り返していたカケルの顔がぱっと上がる。
「マモルが……! マモルが三十字以上喋った……っ!」
「そっちかよ……!」
静かに震えたのは、ずれた感動。
傍にいたナオキとミユの耳にだけ届いたそれに、二人の身体がずり落ちる。「カケル兄……」と若干恨めしそうな声を振り絞り、立ち直るナオキ。その目に、画面を見つめ続ける双子の姿が映った。
ミクの表情が若干強張っていることに誰よりも早く気付いたのは、その片割れだった。
「ミクちゃん、どうしたの?」
心配の色を含んだ瞳が、同じ緑を覗き込む。
ミクは恐る恐るといったように息を吐くと、姉の名前を口にした。
「ここって、そんななまえだったんだ、っておもって……」
心なしか不安げな色を浮かべ、揺れる瞳。
力ない微笑みに眉をしかめ、ノゾミが伸ばした手がミクの手に触れる。重なった手は、どちらからも力が込められた。
「結局ふぁせ……ふぁせ、なんちゃら? はこの建物の名前ってこと? ただの使われなくなったビルだと思ってたけど、そんな長い名前があったのかぁ」
「いや、そんなビルの名前は聞いたことがない。……それに何か違和感がする」
のんびりとしたカケルの声に、否定が入れられる。マモルは自身の顎に指をかけると考える姿勢を見せた。その口から出た“違和感”の正体を薄らと感じ取っている人物がもう一人いた。
違和感の正体を突き止めてしまえば、何かが壊れてしまう気がした。だからミユには何度も胸をよぎったそれを、口にすることができなかった。失うことを恐れて、無理に忘れようと、気付いていないフリを演じていたのかもしれない。
「……皆は、」
――けれど、言わなくてはならない。
きっとそれは今だと、ミユは顔を上げる。その双眸は決意に満ちていた。
「皆は、ここに来るまでの記憶ってある?」
問いを投げかけ、並んだ顔を見渡す。
彼女を見返す全員が、面食らったような表情を浮かべていた。何を言っているんだ、という声が今にも聞こえてきそうだ。
逆の立場だったら、きっとミユも同じ顔をしていただろう。しかし、これはあくまで確認。取り越し苦労で済むなら、それでよかった。
「昨日、私は皆と別れた後、急に意識を失って、目が覚めたらここにいた」
変な子だと思われるよりも恐ろしい考えが当たってしまうことの方が、きっと怖い。
「ここに来るまでの意識が、ないの」
ミユは生唾を飲み、口を開く。口腔は緊張で乾ききっていた。
「……ねぇ。ここ、何かおかしくないかな?」
自分だけであってほしい。そう願う一方で、心の奥ではこの現象を体験したのは自分だけではないはずだとないと謎の確信があった。見開かれる目の数々。ミユを映すそれら全てが戸惑いで揺れ動いていたからだ。
「皆は、ちゃんと自分の意志でここに来てるの?」
祈るように、見つめる。
最初に発されたのは、カケルの声だった。
「そう言われてみれば俺、皆と別れてからここに来るまでの記憶……ない、かも」
子供たちが互いの顔を見合わせた。カケルの声に後押しされるように、小さな手のひらが恐る恐ると姿を現す。
「ノゾミも」
「ミクもー」
「オレも……」
次々と上げられる賛同の意。
――自分たちは、おかしいのだろうか。
謎の現象と実体を前に、赤髪と帽子の少年二人が頭を抱えた。そして、僅かな希望を乗せてマモルを見やる。しかし、返されたのは否定の意を表す左右の首振りだった。
「え、俺たち全員……」
記憶がないってこと?
引きつったカケルの発言に子供たちは言葉を失い、重圧をもった空気が流れる。
それを取り払うかのように誰かが口を開いた。
「じゃあ、」
提案を提示する、希望に近い声。
八つの目が、自信なさげに小さく控えめに挙手してみせた彼女へと集中する。
「こういうのはどうかな」