きっとまた会える
夢の始まりは決まって誰かの謝罪だった。
眠り続ける人間に降り注ぐ懺悔。小さく囁かれるそれは、まるで小雨のようだ。
カーテンが風と踊る。
いつしか零れた何者かの呟き。白い、空間だ。
誰かが眠るベッドに、染み一つない天井。同様に壁紙は汚れ一つ見当たらない。そして、佇む傍観者の記憶さえも、その空間では白に染まっていた。
自分が何色を持っていたのかさえ思い出せない。確かに色付いた記憶(思い出)を持っていたはずなのに。
広がる白に圧倒され、そのまま勢いで飲み込まれてしまいそうだった。このまま身を委ね、白に染まってしまえば楽だろう。けれど、飲み込まれた後、自分はどうなってしまうのだろう。自分が自分でなくなってしまうような気がして、迫る白を睨みつけた。
「ごめん、ごめんなさい。――すみま、せんでした」
謝罪の雨は、止まない。
嗚咽交じりのそれに、傍観者の顔が歪んだ。
痛むのだ。声の主が誰かも分からないくせに、それでも胸は一丁前に痛みを訴える。
――止めさせろ。
脳内で誰かの命令が響いた。けれど、どうにかできる術を傍観者は知らない。ただ、雨を見つめ続けるしかできない。
「ごめん、ごめんね……」
違う声が現れた。震えたと思えば新しい雨を呼んで、しとしととシーツを濡らした。
そのどれもが記憶にない場面だった。空間内に新たな声が現れ、消えて、また現れるが、どれも自分のものではないことしか分からない。
何一つ、分からない。
そんな自分だったがそれでも泣かないでほしいと思った。もう謝らなくてもいいと、自分を責めなくても良いと。
これだけは確かに自分の意志(もの)だった。誰かの吐露は音なく空気と混ざり、誰の耳に止まることなく消えてしまった。
ここで初めて、傍観者は己の声が出ないことを知った。ならばと、触れようと試みて初めて足が動かないことに気付く。
奮闘するが状況は変わらない。間もなく、目の前がぐにゃりと歪んだ。
傍観者を取り残して、全てが白の空間の歪みに巻き込まれる。捻じれは大きくなり、次第に傍観者を置いて走り出す。
遠ざかる歪みの中に振り続ける雨を捉え、傍観者の目が大きく見開かれた。焦りに追い立てられるように腕が伸ばされる。あげられた叫びは音にはならない。
空間が捻じれきれるその寸前、驚いたようにこちらを見る顔があった。それに見覚えがある気がするも、どうしても思い出せない。記憶を辿る傍観者は、そのまま背後から襲いかかってきた黒に呑み込まれた。
世界が、黒に塗りつぶされる。
困り果てたところで、足は相変わらず動いてはくれない。身体の底から湧いた不安が、じりじりと上に上がってゆく。身体を冷やすそれに身震いしたその時、小さな光が差した。光は次第に大きくなってゆき、一気に視界が開ける。
上には青空、前には広がる街並み。
先程とは打って変わった空間に瞬く。ここはどこだと思案した、その刹那。甲高いスリップ音が耳を劈いた。
瞬いた頃には、もう遅かった。タイヤから異音を放った発生源が、傍観者の視界を独占せんとばかりに迫っていた。
――避けきれない。
身体の重心が狂ったのを体感するのと、世界が赤に染まるのはほぼ同時だった。
見慣れた髪色は散り乱れている。その奥に広がるのは灰色に少し青みを加えたような色。それがアスファルトであると脳が認識するのに時間がかかった。
次いで、誰かの腕が視界に入る。それは、自身の腕だった。
当事者にも関わらず、自分が倒れたことを他人事のように悟る。
ぽつり、ぽつりと姿を現す靴に侵略されてゆく視界。瞼は重く、身体は相も変わらず持ち主の言うことを聞いてくれそうになかった。やっとの思いで動かせたのは視線だけだったが、それでもまだ自分の力で何かを動かせることに僅かな達成感が沸く。
太陽の容赦ない日差しに眩みそうになるが、増えてゆく人影は日差しを遮るように集まる。取り囲むようにして立つ影は皆、口々に何かを言い合っていた。音を捉えているにも関わらず、どれが誰の物で、何を模っているかまでは判別できない。
何を話し合っているのだろうか。
中心にいた傍観者が首を傾げる間もなく、視界は急に暗転する。
それに既視感を覚えたところで、一つの世界は終わりを告げた。